★ 進め!「フォークルひょうたん島」 ★



2003年2月1日にNHKで放送された「テレビ50年記念番組」の目玉企画のひとつに、今をときめくアイ

ドルグループ「モーニング娘。」による、NHK人形劇「ひょっこりひょうたん島」主題歌のカバーがありま

した。

さすがに現在再放送されている「ひょっこりひょうたん島」本編に取り上げられるまでには至りません

でしたが、2月・3月の「みんなのうた」でも繰り返し放送されて、子供たちを中心に人気を博したそう

です。しかしそれにさかのぼること37年前の1966年、すなわち「ひょうたん島」オリジナル版の放送が

佳境を迎えた頃に、アマチュア時代のフォークバンド「ザ・フォーク・クルセダーズ」がこの歌をレパート

リーに入れてレコードにも吹き込んでいたことは、どのぐらい知られているでしょうか。



テープの早回しを利用して奇妙な声を作り、♪おらは死んじまっただ、天国に行っただ〜と歌い出し、

交通事故で死んでしまったものの、天国でも放蕩生活を続けた主人公が神さまの怒りにふれて、天国

から追い出されて生き返る…という物語の、当時としては破天荒な作品「帰ってきたヨッパライ」で

1967年末に衝撃的プロデビューを果たし、たちまち社会現象級の人気を集めたザ・フォーク・クルセ

ダーズ(略称フォークル)は、もともとはその3年ぐらい前から京都でアマチュア活動を行っていた

フォークソングバンドでした。

当初は京都市内の大学に在籍していた加藤和彦さん、北山修さんを主軸メンバーとして、平沼義男

さん、芦田雅喜さんを加えた4人で活動していたそうです。

当時は大学生によるフォークソングバンドが流行していて、既存の歌に飽き足りない若い人たちを

ひきつけていましたが、やはりこの世界にも「バンカラ風上下関係の厳しさ」があり、京都ではどち

らかというと後発のグループであったフォークルは、最初かなり辛酸をなめたようです。

そこで「先輩バンドに対抗するには、独創性が必要」と考えたフォークルメンバーは、コミックソング

に着目して、その手始めにライブステージで「ひょっこりひょうたん島」を歌うことを考えつきました。

1966年の9月ごろのことと言います。

歌ってみたらそれまで経験したことのない盛大な拍手と大歓声がわき起こったそうです。

当時のフォークソングは若者の流行の最先端を行くもので、ファンもあからさまな「子供扱い」には反

抗心を露わにする層が大多数だったと思われますが、「ひょうたん島」はお客さんもみなさん見ていた

のですねー。中には「自分はさほど関心ないけれども、弟や妹がいつも見ている。」という人も含まれ

ていたことでしょうが。吉本興業系の番組がいつも見られる土地柄で、さらに東京への対抗意識も旺

盛で、NHKの娯楽番組には少々厳しい地域であることも勘案すると、東京産の番組である「ひょうたん

島」の当時の人気ぶりには、改めて感心させられます。



フォークルはその後どこのライブでも「ひょうたん島」を演奏して、「ひょうたん島のフォークル」の異名

を取るまでになったそうです。1967年春に芦田さんが脱退したのを機解散することになり、北山さんが

「記念にレコードを作ろう。」と提案しました。LP盤に内外のコミックソングと民謡を収録して、それに1曲

オリジナルを加えるという構成です。「ひょっこりひょうたん島」も、当然レコーディングされました。

ステージでは、北山さんたちは「小豆島に合宿したとき、青い海と美しい空をテーマにして思いつきま

した」と、口から出まかせを言っていたらしいですが、もちろんレコードにする段階で、正規の著作者で

ある井上ひさしさん、山元護久さん、宇野誠一郎さんの許可を取っていたのでしょう。



この「フォークル版ひょうたん島」は、音楽的にも大きな特徴があります。

まずテレビでおなじみの派手なイントロがなく、それこそ「どこからともなく島が漂ってくるが如き」ギ

ターの前奏から始まります。そして♪まるい地球の水平線で〜のところで、本来4拍子であるところを

3拍子に変えて、ワルツのリズムをバックに、あえてゆっくり歌っています。ひと息ついたところで、♪苦

しいこともあるだろさ〜からまた4拍子に戻り、ギターをかき鳴らし、テンポを上げて、一気にラストまで

持っていく構成になっています。最後は波の効果音とともにまたどこかへ漂流していくが如く、あいまい

な終わり方をしています。多分加藤さんが考えついたのでしょうけれど、このアイデアは凄いです。

大評判を呼んだのも、大いにうなずけます。



一方オリジナル曲は、「ひょうたん島」とは逆の発想で、ゆっくり歌ったものをテープに吹き込み、それ

を早回しして、甲高い声を作り出すという技巧を編み出しました。この曲が「帰ってきたヨッパライ」です。

詞は、北山さんが友人の松山猛さんと相談して、「死んだ奴が戻ってくる話が面白いだろう」というアイ

デアを出して作ったそうですが、それが1967年7月ぐらいのことだそうで、偶然にもNHKの放送では「ア

ル・カジル王国編」をやっていて、ガバチョが幽霊のまねをしたり、「お化けの国」の王様がガバチョに

死ぬことを勧めて、島民も「死後の世界を見たいから」とそれに悪ノリするというお話を放送していた頃

にあたります。2人が「ヨッパライ」の作詞のときにこれを見ていたかどうかはわかりませんが、なかなか

面白い符合だと思います。



この「自主制作レコード」は1967年秋に完成しました。所詮しろうとが作ったレコード、最初は全く見向

きもされませんでしたが、1ヵ月ぐらい過ぎた頃、神戸のラジオ深夜放送でDJの人が「帰ってきた…」を

かけたところ大変な反響を呼び、レコードはたちまち完売。うわさはあっという間に東京にも広がり、プ

ロデビューの話も入りました。平沼さんは家業を継ぐためにこの時点で脱退、代わりにアマチュア時代

の先輩バンドのリーダーだった端田宣彦さんを加えて、プロとしてのフォークルの活動がスタートした

のです。



プロとしての活動は1968年の1年間のみでしたが、その間「イムジン河」発売中止事件、それを受け

て詩人サトウハチローさんに作詞を依頼した「悲しくてやりきれない」のヒットなどさまざまな話題を呼

び、文字通り「日本流行音楽界の十字軍」となりました。解散後、加藤さんはさまざまなジャンルを手が

ける音楽家として高い評価を受け、端田さんはフォークバンドのリーダーとして「風」「花嫁」などの名曲

を発表、北山さんは端田さんの曲をはじめ、「白い色は恋人の色」「戦争を知らない子供たち」「さらば恋

人」などの作詞を手がけ、多くのヒット曲を生み出しました。これらの曲は今もなお、多くの人の「心に残

る歌」となっています。

そして34年がすぎた2002年秋に、音楽活動を続けている加藤さん、福岡市で精神科医の仕事をして

いる北山さん(現在は「きたやまおさむ」と表記)の「主軸メンバー」に、フォークルに影響を受けて音楽

の道を志したというアルフィーの坂崎幸之助さんを「名誉メンバー」として迎えて、期間限定の再活動

が行われました。



フォーククルセダーズは高いレベルの音楽性を基礎に持ち、その上にフォークソングの持つ抒情と独

特の「諧謔精神」を同居させてそれまでにない音楽を生み出し、若い人の考え方に大きな変革をもた

らしました。「日本のビートルズ」と評する人もいます。さらにただ聞いている人を楽しませるだけではな

く、死生観を歌う曲や、「戦争はいやだ、ぼくたちは平和こそを愛する」というメッセージを持った曲が、

決して押し付けがましくない形で含まれています。

今振り返ると、フォークルの発想方法は極めて「ひょうたん島」的なものであったようにも思えます。

破天荒なコミックソングで世の度肝を抜いた後、それまでの常識にとらわれず、権威をひょうひょうとか

わしていき(「イムジン河」の件では、最終的には権威に屈する形となりましたが)、どこへともなく漂流

するように去っていき、また突然やってくる…

彼らの音楽活動は、「ひょうたん精神」の実践でもあったという見方も、十分可能であると思われます。

若い頃、テレビで人気の「ひょうたん島」をいち早くステージで取り上げたことも、決して偶然のできごと

ではなかったのでしょう。



「NHK連続人形劇のすべて」の本によると、「ひょうたん島」作曲者の宇野誠一郎さんは、テレビ映えさ

せるために必要と考えてアメリカ的なイントロを作ったが、実はその部分はなくして、「ひょうたん島は

どこへ行く」という歌詞が、もっと明確になるような形にしたいと思っていると述べておいでです。

フォークル版の「ひょうたん島」は、その意味で作者の意図により近いものであるようにも思えます。

昨年の再活動ではなぜか「ひょうたん島」は取り上げられませんでしたが、「フォークルひょうたん島」

も、もっと世に知られてよい曲であると思います。



(付記)「ひょうたん島ファンクラブ」などのHPでは、冒頭の歌詞は「波をチャプチャプ…」か、「波をジャブ

ジャブ…」なのかということが話題になっていますが、加藤さんは「チャプチャプ」で歌っていて、北山さ

んもそれにあわせて、愉快なコーラスをつけています。



【参考】

北山修・著「くたばれ芸能野郎」(1969年)
伊藤悟・著「ひょうたん島大漂流記’64−’91」(1991年)
池田憲章、伊藤秀明・編「NHK連続人形劇のすべて」(2003年)

なお、フォーククルセダーズの「ひょっこりひょうたん島」はCD「フォークル大百科事典」(東芝EMI、
TOCT-10129)で聴くことができます。



                                        (2003.8.14記)



<追記>


「ネコジャラ市の11人」で登場した”冬将軍閣下”が、自分の息子は北山オーサム(修)だ、と言って

いたのは、脚本チームがこの経緯を聞いて、「ひょうたん島」を見てくれて、広めてくれたことに対する

返礼の意味が込められていたのかもしれませんね。




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