★ 「レッツゴーヤング」の歩み ★





NHK「レッツゴーヤング」は、「ステージ101」(惣領泰則さん(作曲家)、塩見大治郎さん(初代

「ジローズ」メンバー)、太田裕美さん、谷山浩子さん、芹沢廣明さん(作曲家。作品に「少女A」

「ギザギザハートの子守唄」など。放送中は「河内広明」として出演)、田中星児さんなどの才能

を世に送り出した若者向け人気歌謡番組)の終了をうけて、1974年4月7日から放送が始まりま

した。

「ステージ101」のスピリットを受け継ぎながらも、その前年に落成した東京・渋谷のNHKホールで

の公開収録を原則として、若い歌謡ファンに憧れのアイドルとの一体感を持たせることで、より夢

のある番組にすることを目指してスタートしました。

「レッツゴーヤング」の番組名は、通常はNHK放送センター101スタジオで収録していた「ステージ

101」で、1971年3月に特別編として公開録画放送を行った際のサブタイトルが「レッツGOヤング」

であったことから採られたものと思われます。(筆者推定)



ここでは、「レッツゴーヤング」の歴史を簡略に紹介します。(表中敬称略)

なお、年末特別編を除いて、開始から終了まで一貫して総合テレビで毎週日曜日18時00分

から18時40分
までの放送でした。



1974年(昭和49年)  
4月7日
第1回放送。初代司会者:鈴木ヒロミツ。(〜1977年3月)
レギュラーメンバーにフォーリーブス、相田美春、団しん也。

1975年4月 レギュラーメンバー交替。ずうとるび(〜1977年3月)、小坂明子が参加。

1976年4月 レギュラーメンバー小坂明子に代わり、キャンディーズが参加。
(1977年4月より司会となる)

1977年4月 司会者交替。都倉俊一(作曲家)が起用される。(〜1979年3月)
レギュラーメンバー制に代わり、番組内グループ「サンデーズ」結成。
初代メンバーは男性のみ5組6名。
エンディングテーマ曲として、サンデーズが歌う都倉作曲の「メッセージ」が使われる。
番組タイトルロゴ変更。

1977年9月 キャンディーズ、同年7月の解散宣言に伴い司会を降板。

1977年10月 サンデーズに女性メンバー3名が加入。

1978年4月 ピンクレディー及び狩人、司会に起用される。

1978年6月 山口百恵歌唱の「プレイバックPartU」について、歌詞に特定商標が出てくるという理由
により、該当語句が差し替えられる。


1978年9月 音声多重放送開始により、ステレオ放送化。

1979年4月 司会者全員交替。平尾昌晃(作曲家)、太川陽介、榊原郁恵の3名が起用される。
榊原は1980年3月まで、平尾は1981年3月まで、太川は番組終了まで務める。
森雪之丞作詞・平尾昌晃作曲の「ムーンライト・カーニバル」がオープニングテーマ曲と
なる。

1980年4月 石野真子、司会に起用される。平尾・太川・石野の司会トリオとなる。
田原俊彦、松田聖子がサンデーズに加入。

1981年4月 平尾昌晃、石野真子に代わり田原俊彦、松田聖子が司会に起用される。
太川・田原・松田の司会トリオとなる。

1981年10月 リハーサル中に、ゲスト出演者がステージのセリ穴に転落する事故が発生する。

1981年11月 「センチメンタルジャーニー」において、歌唱者の個人名が出ているという理由により
「(松本)伊代はまだ16だから」のフレーズが「わたしまだ16だから」に変更される。

1982年4月〜9月 太川陽介とコンビを組む司会者の1ヶ月交代制が採用され、泰葉、石川優子、石川ひとみ、
倉田まり子、松原みきの5名が4〜5回ずつ司会を務める。

1982年10月 石川ひとみ、司会に起用される。太川・石川の司会コンビとなる

1983年12月25日 「アイドル大競演」のタイトルで、17時40分から65分間の特別編が放送される。
司会は太川、石川ひとみのコンビが担当。
(1984年12月16日にも同種の特別編が放送される)

1984年5月 衛星放送開局。BS-2で水曜日21時15分から先行放送される。
(1985年度は、BS-1で総合と同時放送。)

1986年(昭和61年)
4月13日
番組終了。




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