Part 4

2003年3月30日 制作

2010年4月29日 更新

by Yoshida

こんばんは、こんばんは、もひとつおまけにこんばんは。

ここは、NHKの人形劇「ネコジャラ市の11人」中・後期放送に関するページです。ポンポン♪


★ Part4 もくじ ★


5. グッズについて


6. 終わりに


7. 参考文献・謝辞


8. 番外編





5. グッズについて


「NHK連続人形劇のすべて」の本では、「ネコジャラ市の11人」のキャラクターグッズが数点紹介

されています。(一部は、埼玉県川口市の「NHKアーカイブス」に展示されています。)

しかし、そのグッズはすべて初期のキャラクターを描いたものであるようです。

ガンバルニャンと子供たちが汽車に乗っている絵のスケッチブックもありますが(筆者も、買って

はもらえませんでしたが、文房具店で見た覚えはあります)これはおそらく、最初のテーマソング

に「6時5分発ズタボロ列車〜」という歌詞があったことと、当時、国鉄の蒸気機関車が終焉を迎

えようとしたことによる「SLブーム」からイメージされたものでしょう。

(ちなみに、ひょうたん島では、トラヒゲが鉄道敷設を計画しても実現できなかったそうです。)

ガンバルニャンとライヤッチャ将軍(声・滝口順平)が描かれている絵のグッズも多く見られるの

で、ライヤッチャ将軍は当初、後年の怪人ランカー(プリンプリン物語)にも比肩する重要キャラク

ターとして位置付けられていたのかもしれません。


この他、東京の「小出信宏社」という玩具メーカー製の「ネコジャラ市の11人かるた」が発売され

ています。

初期キャラクターが登場している一方、バンチョ市長は出ていないため、1971年正月用商品とし

て、1970年初冬に発売されたものと思われます。

バンチョが登場してそのキャラクターが視聴者に認知された時は、すでに絵札・読み札デザイン

の決定がなされた後だったのでしょう。



                    




中・後期はあまり売れそうにないと判断されたのか、市販グッズはほとんど作られなかったよう

ですが、バンチョ市長の絵も描かれている「マグカップ」及び「ご飯茶碗」が発売されていました。

ここに描かれているキャラクターは、ガンバルニャン、バンチョ、アップル、スゴミ、クマタンの5名

です。







中・後期に関しては、当時NHKサイドで作った宣伝用無料ノベルティがあります。

ここでは、筆者が当時から保存しているNHKの絵ハガキを紹介します。

バンチョが写っているものはかなり貴重と思われます。





Copyright:井上ひさし/山元護久・ひとみ座 NEP21。
キャラクターデザイン:片岡昌
ここからのダウンロードはご遠慮ください。




また、1970年10月には番組主題歌(初代)と一部の挿入歌を収録した4曲入りのレコードが東芝

音楽工業からリリースされています。

熊倉一雄さんの所属する劇団「テアトル・エコー」、タメコムX役の江場多寛二さん、ドサ・グレート

役の野沢那智さん、ミス・プリント役の姫ゆり子さん、アルチュール・ランボー役の谷幹一さんが

参加しています。

このメンバーからわかるように、すべて初期キャラクターに関する歌のようです。

他に、スイート役の松島みのりさんの歌を収録したレコードも出されたという情報もありますが、

まだ確証は取れていません。





6. 終わりに



1962年に生まれた筆者が小学校に入学する直前に、「ひょっこりひょうたん島」の放送は終わり

ました。

「ひょっこりひょうたん島」は、見ていた記憶は確かにありますが、幼稚園児にとってはただ「人形

が動いている」というだけの認識しか持つことができず、様々なギャグやストーリーの裏に隠れた

メッセージを理解する域までにはまだ達していませんでした。

しかし、当時から友だちと一緒に外で元気に遊ぶよりも家の中で静かに勉強したり、ピアノを弾

いたり、歌ったり、テレビを見て笑うことの方がずっと好きだった筆者は、小学校2年生ぐらいにな

るとニュースで取り上げられる時事問題にも関心を示すようになりました。

そんなころ「ネコジャラ市の11人」は、「ひょっこりひょうたん島」の姉妹編的なストーリーに衣替え

しました。もともとテレビはNHKを中心に見ている家だったので、筆者が夢中になるまでに時間は

かかりませんでした。

当時の筆者は、(妹につきあって見ていた)「おかあさんといっしょ」で愛情を、「みんなのうた」

や「歌はともだち」で抒情の心や音楽の楽しさを、「あなたに挑戦!」(1972年度に、ネコジャラ

市の後の時間帯に放送していた、ジュニア向けクイズ番組)で、いろいろなことを知る嬉しさを、

そして「ネコジャラ市の11人」で、笑いと風刺の心を学んでいたような気がします。

それは、学校の勉強にはない大きな魅力がありました。

また、当時筆者の住んでいた公団住宅の隣の広大な田んぼに大きなニュータウンが造成され

ることになり、晴れて風の強い日は工事のクレーン音が遠くから響いてくるという環境で育って

いたので、「オーマイホームタウン」の歌には格別なリアリティーを感じ取っていました。



しかし、「ネコジャラ市の11人」は「ひょうたん島」の姉妹編的ストーリーに変わったがゆえに、

今ではあまり話題にのぼらなくなってしまったようで、ちょっと淋しい思いをしています。

今、こうして中後期の「ネコジャラ市の11人」を振り返ってみると、自分はその「ひょっこりひょう

たん島」的な側面、すなわち時事問題やギャグの手法を巧みに盛り込みながら、「いろんな人

がいてもよい、互いの違いを認めながら、一緒に生きていこう」という「ひょうたん島精神」に通

じる部分を一番気に入っていたのだと、改めて気づかされます。

そして、一緒に見ていた周辺時間帯の「ジュニア番組」、とりわけ「みんなのうた」「歌はともだ

ち」などの抒情的な記憶と一体化して覚えているため、「ネコジャラ市」の番組そのものの「アラ」

が、いつのまにか頭の中で希釈されてしまったのかもしれません。

そのあたりが、この番組の制作に携わった人や、人形劇そのもののファンで「チロリン村とくる

みの木」や「ひょっこりひょうたん島」のときから熱心に見ていた人、あるいは同時期の民放の番

組とかけもちで見ていた人たちと大きく印象を異にする点であるのでしょう。



このHPを制作し、更新をするためにいろいろ調べていくうちに、この作品に対する作者や関係者

の愛情がいかに希薄、酷薄であるかを、つくづく思い知らされました。

一部実名を出して失礼かとは思いますが、作者の井上ひさしさん、音楽担当の宇野誠一郎さん、

ひとみ座やテアトル・エコーの関係者の方、制作に携わったNHKのディレクターさんやスタッフの

方々、そして「ひょっこりひょうたん島」に深い愛情を示し、いくつもの優れた著書を世に出されて

いる伊藤悟さん…

皆さん、口を揃えて「失敗作」「あまり思い出したくない」とおっしゃられておいでです。

しかし、筆者にとってはこれはかけがえのない番組です。制作サイドの方がそのような言い方を

なされ、「ひょうたん島」との比較で「あれは凡作」と決め付けられるのは、とても悲しく思います。



「腕力もの」「スポーツヒーローもの」の番組が次第に幅をきかせはじめ、スーパーヒーローや「根

性」がモットーの体育会系ヒーロー・ヒロインに人気が集まる時代の中で、「ネコジャラ市の11人」

は、筆者のような「ガキ大将式子供社会」になじめない人物でも安心して笑うことができる番組

でした。

外では毎日のように陰湿ないじめの対象とされ、いつも逃げ回ってひとりぼっちで、家では勉強

が少しでもできなかったり、ピアノが上達しないとたちまち父親から鉄拳制裁と怒鳴り声を浴び

せられるという生活を強いられ、自己否定の気持ちばかりが着実に育まれていった時期に、中

後期の「ネコジャラ市の11人」、とりわけバンチョさんの愉快なキャラクターに出会わなければ、

筆者はとうの昔に、この世の中に見切りをつける形で自らその生命を終わらせていたことで

しょう。

途中からこの番組を見始めたことも、筆者には大きく幸いしたかもしれません。

もし、初めから見ていればすぐに飽きてしまったことと思います。

こうしてみると、この番組での藤村有弘さんの熱演は、筆者にとっては、「ひょっこりひょうたん島

を見て心中を思いとどまった」という、あの「ドン・ガバチョの歌の伝説」にも匹敵する価値がある

と思います。

それだけの愛情を持って見ていながら、伊藤悟さんのように番組を記録して丁寧に残しておこう

とする発想も力量も全く持ち合わせずに、当時はただ涙を拭きながらボーッと見て笑っているだ

けで、今ごろになってあやふやな記憶を基にしてこの小ページを書くのが精一杯という、筆者の

矮小ぶりを痛感させられる事実は、番組がすでにすべて失われていて、テーマソングさえも復活

の気運がないということを知らされた、30年後の悔いのひとつです。



そんな筆者の今の願いは、「わずかでも結構です、みなさん、この作品にも愛情を持っていただ

けませんか。」

ということに尽きます。

わりと最近のことですが、ある新聞で、

「流行歌・歌謡曲にとっておよそ最大の不幸は、人々の記憶から消え去ってしまうことなのであ

ろう。」という主旨の文章を見かけました。

これは歌に限らず、ひろく大衆芸術・エンターテインメントにあてはまることだと思います。

これを作品にとっての「第一の不幸」とするならば、「第二の不幸」は「作者・演者から愛されな

い」ことであると思います。

「人形劇の長い歴史と、これからの展望」というマクロの観点からいえば、この作品は「期待は

ずれだった」のひと言で済んでしまうものにすぎないかもしれません。

それでも、当時制作に携わった方はみなさん、その時点でのベストを尽くされたものと、筆者は

信じています。

「ひょっこりひょうたん島」の半分とはいいません、せめて10分の1でも愛情を向けてほしい!

このページをまとめ終えて、つくづくそう思う次第です。

最後までご覧いただき、どうもありがとうございました。



                               放送終了30周年に

                               Yoshida


                                           ▲TOPへ戻る




7. 参考文献・謝辞


本ページの執筆にあたっては、以下の文献を参考とさせていただきました。(敬称略)

★ 「グラフNHK」 1970年4月15日号、1971年10月15日号、1984年6月号

★ 池田憲章・伊藤秀明 編著 「NHK連続人形劇のすべて」 (アスキー出版、2003年)

★ 伊藤悟・編 「ひょっこりひょうたん島ヒット・ソング・コレクション」CDライナーノーツ

  (ソニーミュージック、2003年)

★ ホームページ「ひょっこりひょうたん島ファンクラブ」

★ 同「伊藤悟のひょうたん島大漂流記」

★ 同「横浜カルバリーチャペル」



また、このページをご覧になった方から数多くの情報の提供をいただきました。

すべて反映させることはできませんでしたが、みなさまのご厚意に心よりお礼申し上げます。

また、返信が遅れた方に心よりおわび申し上げます。


※文中、歌詞などには著作権が存在しているものと思われます。

また、壁紙には、筆者が唯一保存してある「ネコジャラ市」グッズの、NHK絵ハガキを使用

させてい
ただきました。

手がかりがあまりにも少ないので引用を行いましたが、万一著作権上の問題がありました

ら、お手数ですがお知らせください。








8. 番外編〜その後の藤村有弘さん〜


「ネコジャラ市の11人」の放送が終わると、藤村有弘さんの名前を聞くこともほとんどなくなりまし

た。(1979年5月に、一度「プリンプリン物語」にガバチョの役でゲスト出演されたそうですが、筆

者は残念ながら見ておりません。)

かなり時間がたったある日、父親がいつも見ているTBS系の月曜時代劇(「大岡越前」か「江戸

を斬る」のいずれか)に、出演しているのを見かけました。

冒頭の出演者テロップに「藤村有弘」の名前が出たのを、母親が偶然見つけて、

「あっ、バンチョさんの人じゃないの。」

と言ったので、気をつけて見てみました。

ここでは、藤村さんは気の弱い町人たちからお金を巻き上げる悪徳商人を演じて、最後に白州

に引き出され、奉行から刑罰を言い渡されていました。

役柄の卑小ぶりもあったのか、イメージしていたよりもずいぶん小柄で元気のない人のように

見えました。

それからまもなく、新聞に訃報記事が掲載されました。



「横浜カルバリーチャペル」の牧師、武井博さん(元NHK職員。「ひょっこりひょうたん島」の初代

プロデューサー、企画立案者。)が開設しているホームページでのお話によると、藤村さんはこの

ころ糖尿病を患っていたそうです。

後年、「ひょうたん島」の収録風景の映像を見ると、藤村さんは堂々とした体格で、身振り手振り

でガバチョを熱演していました。こちらが、筆者にとっておなじみの藤村さんの演技ということにな

るのでしょう。

そのあまりにも早すぎる死に、ここで改めて哀悼の意をささげたいと思います。






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